秩父奥地の天空の寺・太陽寺へ

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4/17(日)-18(月)のこと。



秩父の奥地にある「天空の寺(宿坊)」に

縁あって泊まってきました~。








雨予報の日曜日。


関東近辺かなり大荒れになったようですが、
こちら秩父地方は奇跡的に晴天なり◎



午前中は湖水でゆるりと新緑カヤックを楽しみ、
15:30すぎに目的地のお寺に到着。


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こちらがお世話になる「太陽寺」さん。


山岳信仰の寺社としては珍しく女性の参拝が
認められていたため。


江戸時代には多くの参拝者で賑わい、
「東国女人高野山」とも呼ばれたお寺です。



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こちらでは、宿坊に泊まり、禅堂での座禅体験、
写経、精進料理を頂くことなどができます。



秩父の山の中と聞いていましたが、
実際、かなりの秘境。



標高は850mほどの場所にあり、
半径5kmには誰も住んでいないとのこと。



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こんな人里離れたところにお寺があり、

江戸時代に建てられた本堂がそのまま

存続しているということ自体、神秘的です。



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お寺に着き、お茶を頂いて一息つくと、
早速写経開始。


(ちなみにこちらのプログラムはすべて希望制)


縁側で雄大な自然を前に正座。


お手本の般若心経の上に半紙を置き、
ひたすらに文字をなぞる。



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気持ちを写経用紙に集中し、

一文字、一文字、

丁寧に文字をなぞっていく。



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ただただ、これを繰り返す。




最初のうちは力が入るあまり、

アンバランスになりますが。




2~3行も書いているとコツがつかめ、

肩の力が抜けてきます。


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写経の目的は、早く書くことではなく、

精神を統一し、心を静め、己と向き合うこと」。



集中力を高め、

騒がしい日常(世俗)から精神を逸脱させ、

ざわついた心を静めてくれるもの。



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心が穏やかになると同時に、いまの自分と

これから向かうべき道しるべが見えてくる。



これが写経の大きな魅力といえるでしょう。



グーッと文字を書くことだけに

集中すると。



す~っと、自然と心が

軽やかになるから不思議です。



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しばし、ゆるんだあと、

18:30からは読経のお勤め。



「間違ってもいいから声を出してください」
とご住職。


「摩訶般若波羅蜜多心経」
「白隠禅師座禅和讃」

などを一緒に読経させていただきました。


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ご住職の大きな声と鐘の音が響き渡る。

お経はなんともリズミカルで、心地よいものです。





読経が終わると、夕食の始まり。

夕食は、行く前から楽しみしていた精進料理。



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すべてご住職とボランティアのお手伝いさんに

よって作られているそうです。



野菜中心で、山菜など地ものを使った

手作りの品がずらり。




地産地消、素材を無駄にしない、

一物全体の精神が息づいたお料理。


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沁みわたる、あたたかいお味噌汁が

とてもおいしかった。



“いただく”ありがたみを実感しながら

一品一品味わって食べました。



どれもほんとうに美味しいお料理。

ごちそうさまでした~ m(_ _)m


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夕食後は、大陽寺自慢の露天風呂

(こちらもご住職の手作り)に入浴。



ひんやりとした空気の中。

星が、なんと、キレイなこと。



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ここ太陽寺は、

テレビもパソコンもなく、携帯電話も通じない。



と~っても静かで、こころ落ち着く空間。



まさに、大自然につつまれ、

ゆっくりとした時間を

味わうことができます。




この、なんともいえない開放感。



時間に追われることなく、心が情報を求めない、

心身ともに軽くなる感じが好きなのです。







宿坊に置いてあった本を読んでいるうちに、

21時過ぎには、うとうとと・・・zzz




おかげさまで、朝までぐ~っすり

眠ることが出来ました。





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翌朝。


5:00ころ、空が明るくなってきたら

自然と目が覚めます。



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凜の散歩をしたりしながら、

深呼吸をして、のんび~り過ごします。



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標高850mのここ太陽寺は、山桜が咲き、

これから木々が芽吹く季節。



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30分ほど散歩した後、

ご住職が「コーヒーでもいかがですか?」と

ふるまってくださいました。


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ん~

いい香り。



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空気も水も美味しいからかなぁ、
コーヒーもとっても美味しい。


朝から縁側で、日向ぼっこしながら、
ほっこりほっこり。





6:45からは朝のお勤め(読経)をし、
その後、座禅。




立派な座禅堂で、まずは説明を受けます。


座禅堂の廊下は叉手(しゃしゅ)をし、
無言で歩きます。


座禅堂に入る時は入り口で一礼し、
中に入ってもう一度礼をします。


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座禅時間は短めで、約20分間ほど。
初心者にも安心してできる座禅です。



大陽寺の座禅は、究極の自然体を目指すもの。

座禅堂の入口には、「渓声便是広長舌」
「山色豈非清浄身」とありました。



これは、「耳をすませば渓谷の音や鳥のさえずりが聞こえ、
説法のように聞いて学ぶことができる。


目の前には雄大な山々が広がり、
立派な仏様を見ているかのようだ。


このような素晴らしいものを大切にせずして、
何を大切にするのか」

との意味なのだそうです。



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計20分を道場で行なった後は、廊下で
おのおの自由に座禅を組むことができます。


人里離れた森中、ひっそりたたずむ禅室の窓からは、
絵画のような山並みが。



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ザァー・・・

ホ~ホケキョ。


朝の清清しい空気の中、川のせせらぎや風の音、
鳥たちの声に包まれ、
とても穏やかな気持ちになれました。



木々に囲まれる太陽寺に、朝日が当たった光景は、
なんとも素晴らしく荘厳。


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生きとしいけるものが、いつもこのような、

心おだやかな気持ちでいられたらと

願わずにはおられません。



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また、瞑想には心を癒す効果もあるようです。


日本人の多くは、「自分を責める」方向に
マインドが向きやすく。


日本人は気を配ったり、自分を控えたりして、
反省や内省はしやすいのですが。


自己肯定が苦手な傾向があるようです。


気付きの瞑想をすることで、自分を過剰にいじめて
いたり、責めている心に気がつく。


「今までごめんなさい」「よく頑張ってるよ」と
心を緩ませ、自分をやさしく解放してあげることが大切。


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そういえば、あか姉ちゃんが珍しく、自分で
自分を褒めてたのが印象的だった。


それでいい。


むしろ、それが、本来あるべき姿なのです。



他人に気を使うなら、同じように自分にも気を使う。

他人に親切にするように、同じように自分にも親切にする。



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気付きを養うにつれて、自分というものが
徐々に見えてくる。


イライラすることが少なくなった、自分を責める
ことが減った、穏やかになれる時間が多くなった等々。


人それぞれの心のバランスを取り戻し、どんなことが
あってもブレずに、決して揺るがず、健全な精神を
保つことができるようになります。


瞑想によって、自分を癒し、
バランスある心にできる。


何も、悟りを得るとかではなく、自分の心を
自分で浄めること(浄化)こそが、
瞑想の目的なのです。



このお寺での瞑想は、心底、気持ちがよかったなぁ。


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座禅のあとは、なんと、縁側で朝ごはん♪


メニューは、おかゆ、煮大豆、
がんもどき、お新香
具がいっぱいのけんちん汁、梅干などなど。



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朝から盛りだくさんで、

特にけんちん汁がおいしかったです。


鎌倉の建長寺仕込みのけんちん汁。

けんちん汁の温かさにほっと心が和みました。


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本来は、食事も修行のうちなので、
正式には、作法を守って食べねばなりませんが。


太陽寺はそういった決まりはありません。


しかし、「この食事が自分の前に来る前に、
どれほどの方が苦労してきたか。
命のあるもの感謝しながら食べよ」


あらゆるものによって、自分が生かされていること。
おいしく食べられる健康な体に感謝。


生きていく上で大事な「食」をこれから
もっと大切にしたいと、改めて思いました。



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宿坊に泊まることで
得られるきづきは人それぞれ。



私自身、国内・海外含め、仏教にふれる旅を
何度か重ねてきた中で、
少しずつ仏教の本質を理解しつつあります。



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一般的に、無宗教が多い日本人が「仏教」にふれる機会は
法事のみという方がほとんどかと思います。


亡くなった人を成仏させるために「読経」を行い、
「お経を唱えること」=「ご先祖供養」

そう思っている方が多いかもしれません。


しかし、「お経」とは、お釈迦様の教えであり、
本来、私たちが生きるうえでとても大切な、
「生き方の指針」。


人を良き方向に向かわせしめる言葉が
並べられているものです。


法事や葬儀で「読経」の後、そこに説かれている
お釈迦様の教えを聞き慶ぶことで、お徳を讃えて、
そのご恩に感謝すること。


私たちが、自分自身を反省し、改めることに
読経の本来の意義があるのです。


決して、“故人の供養のため”の読経ではなく
生きている“自身のため”に行うもの。


お経を唱える=功徳を積むこと。

あの世のご先祖様へ、生かされている感謝と
エネルギーを載せ、祈りの言葉を送ること。


生きている我々が、お経を唱えることで、自らを改め、
その功徳をご先祖様に捧げることこそが、結果として
ご先祖供養となる、ということなのだそうです。




つまり、仏教とは、死んだときに
あの世で救われるための教えではなく。


生きている人が、生きている時に、本当の幸福に
導くための教えなのです。


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宗教ときくと、日本ではマイナスイメージが
強いかもしれません。

たしかに、そういうおかしな宗教が
多いのも事実です。


しかし、仏教は、この世に偶然に起こることは
何もない、という教えの上に成り立っています。


仏陀は「すべてのことには原因がある」と教えました。
これには私達の幸福も含まれます。


仏陀が教えたのは、もし人生をより良く、より幸福に、より健康で、
より裕福に送りたいのなら、すべての原因を変えることで
より良い結果を生み出さなくてはならない、ということです。



【因果応報】
「善い行いをすれば、善い結果が自分に現れる
悪い行いをすれば、悪い結果が自分に現れる」



自分がうける結果には、自分自身に原因がある。
もし私達が不幸なら、それは私達の過失であって、
誰を責めることもできない。


悪い結果がきたときには、他人のせいにせずに
自分自身を反省する。善い結果がきたら、
より善い結果がくるよう、努力していく。


よい結果がほしい、幸せになりたいなら、
ただただ<善い行いをしていくべし>


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善良な生を送っているのに不運なことばかり起きる、
と言う人がたくさんいます。


それは過去生の悪い行いを今生で刈り入れているので
あって、今生でしたことが来生で実を結ぶこともある。


だから、来世より幸せに生きるために、現世で功徳を
積むことが大切なワケです。


そして、仏教は、「どう生きるか」ではなく、
「なぜ生きるか」という人生の目的を教えられたもの。


どう生きるかばかりを考えている方が多いですが、
長生きしたところで、70年から90年・・・
過ぎ去れば幻のような一生です。



「将来のために備えよう」
「いつかはやりたい」
そういった未来に向けての言葉をよく耳にします。


老後の生き方を心配し、趣味を持とう、年金や
保険を、と「どう生きるか」ばかりを問題にしていますが、
死は、突如、お構いなしに襲いかかってきます。


早ければ今日にも、死に直面しなければなりません。
必ず、誰しもが死にゆく命です。


“臨終に、後悔と恐れが、かわるがわる襲ってくる”
とお釈迦様は説いておられます。


死んでしまったら泡と消え去る、金や財、地位や名誉、
妻(夫)子を求めることが、本来の人生の目的では
ないはずです。



私たちの生きる目的は、現在、いま、
「絶対の幸福」を感じる日々を送ること。


仏教とは単なる信仰ではなく、よりよい「生き方」であって、
私たちが何を信じているかなどは全く重要ではないのです。



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また、仏教は、
「心を浄める」教えであり、
それこそが目標、とあります。


実践上では、悟りを得ることではなく、
「心を浄める」現在形の連続になるようです。


「現在形」とは、「未来」に何かを期待したり、
「過去」のことを操作したりしないで、
ただ現在において何を行うか、ということ。


もっとも代表的なのが「あるがままに・禅の教え」
といういわゆる「気付き」です。


「今、起きていることに、気付いていく」
マインドフルネスという実践です。



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「今自分に起こっていることを、
判断や批判なく、そのまましっかり認識すること」


日々の忙しさから、何にもとらわれずくつろぐ時間。


責任・肩書・行動・功績とは無縁の、
あるがままの自分でいる時間。


瞬間瞬間の現象に気づくことによって、心は穏やかになり、
充実して生きることができる。



お釈迦さまはこのように説かれました。

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 過去に引きずられず
 未来を期待しない
 過去はすでに終わり
 未来はいまだ現れてない
 現在の法(現象)を
 その場その場で観察する
 しかし現在にも実体がないことを知る
 そのように知る人に、成長がある


 今日のうちに努力すべきである
 明日は死なないと知る方法はない
 死王の大軍隊と関わりをもってはならない
 このように努力する人の日々は好日である

--------------


 「明日は死なないと知る方法はない」=
 「明日も生きている保証はない」ということです。


 「死王の大軍隊と関わりをもってはならない」とは、
 「ものがある(所有)」という見方のことです。


お金がある、家族がいる、仕事がある、何に対しても
「ある」と思うことです。


お金や物を所有すると、欲が欲を生み、
止まることを知りません。


マイホームを買い、車を買って、それらの幸せを得たら、
今度はより上を望む心(欲)が出てきたり、失いたくない
という不安(執着・苦)につきまとわれる ことになる。


「所有と比較と競争」 という価値観の中からは、
決して永遠の幸せは得られないことを
説いておられるのです。


最後にお釈迦さまは「今日のうちに努力する人の
日々は好日です」と説かれています。


日本では「日々是好日」という言葉でよく知られています。


過去に引きずられないこと、
未来を期待しないこと、
そして今の瞬間を観察して正しく生きること、
これで毎日を愉しく生きることができる
という意味の言葉です。


今の瞬間も過去や未来と同様に、すぐに消え去るもの
(すべては無常)ですから、それに囚われないことが
大切ということです。


仏教の教えは、物事の判断、善悪もすべて
「心を浄める」を基準にします。


これを別の言い方でいうと、煩悩を無くす、
煩悩が無い、という言葉になります。


一般的には、「煩悩を無くす」というと、
どこか厳しいイメージがあるかと思います。


ですが、分かりやすくいうと、煩悩がないということは
「超リラックス」状態のことを指すのです。


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このように、心が浄めるということは、
やさしさや温かさをともなった、
微笑みのあるソフトでマイルドな心に近くなること。


煩悩を無くす = 心を浄める = リラックス = 手放す

といった方がわかりやすいかもしれません。


宿坊に泊まり、読経や写経、座禅をすること。


それらを行うことは、「何かを得るためではなく自分の中の
いらないものを取り去るために行なうこと」。

なのです。


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近年、地球規模で大きな災害に見舞われ、
こうしたニュースを見ていると、
心がざわつく方も多いかもしれません。


しかし、世の中は無常であり、
あるがままを受け入れること。


何かしなければと、つられて
無理に動く必要はなく。


将来を不安にかられ、今という時間を
無駄にすることなく。


自分ができること、決して無理をせず、
見栄を張らず、できることを
坦々とやっていこうとおもう。




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こんなときこそ、周りにつられてブレることなく、
いつもの自分でいること。


自分の今を精一杯生きること。

一瞬一瞬を大切に、日々幸せを感じながら過ごすこと。


「日々是好日」の心で、心穏やかに、毎日を愉しく
いきていきたいとあらためて思った旅でした。




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おひとりでこのお寺を守られている浅見ご住職、

本当にきさくなお人柄でとっても素敵な方でした。


充実した2日間をありがとうございました





また、機会を見つけて、こころを浄めに

お邪魔させていただきますね。





(合掌・礼拝)








by slow_trip | 2016-04-24 10:00 | pilgrimage | Comments(0)

slowな旅やアウトドアの備忘録です。たいしたものはありません。どうぞごゆるりと。


by slow_trip